能登海洋深層水を使用した輪島素麺【輪風堂】輪島なごみそうめん・うどん・あえのみず

特定商取引に関する法律に基づく表示 プライバシーポリシー

幻の輪島素麺

トップページへ

幻の輪島そうめん

その昔、輪島はそうめん造りのさかんな町でした。
輪島そうめんの製法は様々な地方に伝わっていき、影響を与えていったのです。

手延べそうめんのルーツ

手延べそうめんのルーツ 室町時代に五島列島から日本海経由で麺の製法が伝わり、油を使わない手延べ素麺『輪島素麺』が誕生しました。
この輪島独特の製法は富山の「氷見うどん」や「大門素麺」へ伝播し、秋田「稲庭そうめん」、宮城「白石温麺」にも伝わりました。
かの織田信長も御所への献上品には輪島の素麺を選んだと言われるように、公家・貴族をはじめ、江戸時代には加賀前田藩御用達、幕府献上の名品として製麺も盛んでした。

しかし…
明治を迎えると藩の保護を失い、百軒以上あったそうめんの製造業者も次第に廃れていき、昭和初期には輪島から素麺の姿は消え、ついに伝説と化し、幻の輪島そうめんとなってしまいました。

輪島そうめん豆知識・知る人ぞ知るお小夜塚

おさよ塚

お小夜塚のお小夜さんって誰?

寛文年間に輪島市の隣町の貧しい百姓の家に生まれ、13歳の時、輪島の麦屋(素麺製造所)に奉公に出されました。
朝早くから夜遅くまでの辛い仕事の中で聞き覚えたのが粉挽き唄(麦屋節)。 石臼の灯ろう
18歳の時に遊女として身売りされたお小夜は、麦屋節を歌いながら辛い日々を明るく過ごしました。
その後越中の五箇山へ流され、そこでお小夜が歌った麦屋節が越中麦屋節の元となりました。
最後には庄川に身を投じ、28年の生涯をとじたお小夜。
そのお小夜を偲んで建てられたのがお小夜塚です。

お小夜塚の灯ろう

右にある灯ろうは、そうめん造りに使われていた当時の石臼を積み上げたものです。

このページのトップへ

輪風堂 輪風堂